8月15日;日本の敗戦記念日!

終戦記念日:8月15日に想う 私の父は、私が生まれた1937年、陸軍中尉として中国北支に駐屯していました。幸い父は終戦を待たず、帰還を命じられ日本に戻ることが出来たのですが、この1937年こそ 日本が日中戦争に本格的に突入した年。北京の南西郊外にある盧溝橋付近で1937年(昭和12年)7月7日夜、日本軍が、夜間軍事演習中に中国軍から発砲があったとして、攻撃したのです。我が国は、8月15日の終戦記念日、広島・長崎原爆投下の記念日は大々的にマスコミ報道させ、人々に周知徹底していますが、何故このような記念日があるかに対する、真摯な反省をすることはありません。また同じ1937年には日本人として、もう一つ忘れてはならない記念日があります。それは7月7日です。七夕祭りの夕べに事件が起こっていたのです。日本はすでにその6年前、鉄道爆破の謀略事件(柳条湖事件)を起こし侵略を開始し(「満州事変」)、中国東北部に傀儡政権の「満州国」を建国しましたが、柳条湖事件とは、1931年に奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道が爆破された事件です。しかし、実際は日本側の自作自演であったことが後に明らかになりました。爆破したのは奉天独立守備隊の河本末守中尉らで,満州での兵力行使の口実をつくるため石原莞爾板垣征四郎関東軍幹部が仕組んだものでした。これをきっかけに、満州事変が起こりました。そして盧溝橋事件を口実に、中国への全面侵略を開始したのです。靖国神社は、盧溝橋事件から日中が全面戦争となった「背景」について、「日中和平を拒否する中国側の意志があった」とし、全面戦争にいたったのも「日本軍を疲弊させる道を選んだ蒋介石(国民党指導者)」に責任があるなど(『靖国神社遊就館図録』)、まるで、日本は平和を望んでいるのに、中国が戦争をしかけたように描いています。しかし事件が起きたのは、日本の国内でも日中の国境地帯でもなく、北京の近郊、いわば中国の中心部です。当時、中国は義和団事件(1900年、中国侵略に抗議した民衆運動を、日本など8カ国の軍が鎮圧をはかったもの)の「最終議定書」によって国内への外国軍の“駐兵権”を呑まされていました。日本はこれを盾に、盧溝橋事件の前年には「支那駐屯軍」を1,800人から5,800人に増強。中国の強い抗議を無視し、増強部隊を北京近郊の豊台に駐屯させました。ここは北京の守備の要で、すでに中国軍がおり、両軍はわずか300メートルで対峙(たいじ)するかたちになりました。それが、いかに挑発的なことであったか。当時、陸軍参謀本部第一部長だった石原莞爾(「満州事変」を起こした中心の一人)は「豊台に兵を置くことになったが、之が遂に本事変(「支那事変」)の直接動機になつたと思う」(「石原莞爾石原莞爾中将回想応答録」参謀本部作成)と証言しています。しかも、現地では事件後まもなく停戦協定が成立し戦火の拡大を防ぐ条件がありました。ところが、近衛内閣は大軍派遣を決定し、翌8月「支那軍の暴戻(ぼうれい=乱暴で道理がない)を膺懲(ようちょう=こらしめる)し」と政府声明、昭和天皇も「中華民国深く帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構へ遂に今次の事変を見るに至る」と中国側に戦争の責任を押しつけ、「中華民国の反省を促し速に東亜の平和を確立」するための武力行使だと強弁(37年9月)したのです。これらの事件いぜんにも、日本軍は謀略事件を起こしているのです。それが張作霖爆殺事件です。これは1928年6月、中国人軍閥指導者の張作霖の乗った列車を関東軍が爆破し死亡させた事件です。事件は中国側が犯行に及んだよう偽装するも憲兵(軍内の警察)などの調べで、どうやら関東軍のしわざである疑い濃厚とわかり田中義一首相(陸軍大将・立憲政友会総裁)へ報告。12月に昭和天皇に「どうも我が帝国の陸軍の者の中に多少その元凶たる嫌疑があるように思いますので、目下(白川義則)陸軍大将をして調査させております。調査の後、陸軍大臣より委細申し上げさせます」と昭和天皇へ上奏、天皇は「陸軍の軍紀は厳格に維持するように」と述べました。ところがさまざまな方向から事件をあいまいにする圧力が田中へかかり、政友会および内閣からは、日本軍の行為と認定して処罰したら天皇のお顔に泥を塗るので闇から闇へと葬るべきとの意見が噴出。陸軍内も行為はけしからぬが、忠誠心からの行動で壮なりと擁護の声が。一方、元老の西園寺公望は当初「断固処罰して我が軍の綱紀を維持」せよと厳罰を主張。こうして始められた侵略がどれだけ多くの犠牲をだしたのか。これらは全て、私たちが忘れてはならない歴史の真実です。2019年8月10日に公表された田島初代宮内庁長官の資料に、戦後の昭和天皇の肉声が残されていて、戦争に突き進んだ軍部への不信と自らの反省に言及し、退位の可能性も漏らしています。また『拝謁記』には「張作霖事件の処罰を曖昧にした事が後年陸軍の紀綱のゆるむ始まりなつた。張作霖事件のさばき方が不徹底であつた事が、今日の敗戦に至る禍根の抑々(そもそも)の発端」とあります。読売新聞2019年8月19日の投書欄「気流」で、山口県の女性が次のように訴えています。最近は日本が戦争をしたことを知らない学生や、戦後「いつもお腹を空かせていた」という話に「コンビニに行かなかったのか」と尋ねる小学生もいます。今の政府はプログラミングや英語教育に重きを置いていますが、真の国際人を育てていくためには、かって日本が隣国でどういう事をしてきたのか等の歴史的事実をもっと学ばせる必要があります。