安倍晋三の国葬に異議あり!!!

自主路線を志向する記者たちは粛清され、中央に残ったのは対米追随派の人間ばかりとなった。戦後、リベラル勢力の中心的存在だった朝日や毎日新聞社も組織が変質し、紙面の性格も変わっていった。日本の官僚支配も進行した。民間企業の新聞社にさえ圧力を掛けた米国にとって、官僚支配は容易だった。日本の官僚にも自主自立を強く希求する人々はいた。1948年に外務次官に就任した吉沢清次郎は、日米地位協定について次のように述べている。「政府はNATOの加盟国間に調印された”外国軍隊の地位に関する協定”の程度まで持っていこうとしたが、米国はその希望には応じられないとした」。米軍はドイツやイタリアでは、相手国の法律を守って行動することになっている。一方、日米地位協定では、米軍は日本の法律を守る必要がなく、基地の運営上必要ならば何でも自由にできるのだ。このため、当時の外務官僚は欧州並みに改善したいと交渉したのだ。だが、極端な対米追随路線を取り、米国の言いなりだった吉田茂首相の下では、政府の支援がなく、改善は不可能だった。対米追随路線の政権が圧力をかければ、官僚の意見を封殺することなど簡単なことだ。現在も日本では、自国の自主自立を主張した官僚に対して首相官邸から矢が飛んでくる。身内から足をすくわれるのが常態化すれば、自主路線を志向する官僚が減っていくのは当然。1991年の湾岸戦争の頃から、対米自主派は殆ど姿を見ない。

この流れが決定的にしたのが、2003年のイラク戦争た。米国は「イラク大量破壊兵器保有」「9.11同時多発テロ事件を起こしたビンラーディンなど過激派をイラクが匿っている」との理由で、イラクに総攻撃を始め、サダム・フセイン政権を崩壊させた。ところが、2004年米国の公的機関が調査結果を発表、米政権の二つの主張はいずれも虚偽の情報に基づいたもので、誤りであったと認めたのだ。その後、米国の友軍だった英国のブレア首相は、イラク参戦は間違いだったと認め謝罪したが、日本は未だに検証もせず、イラク参戦の間違いを認めようともしない。国葬に付された吉田茂に匹敵する、確信犯的な対米追随政治家だった安倍晋三を今、吉田茂に次ぐ2例目の国葬にすると、岸田政権が閣議決定した。米軍への思いやり予算、米国の高額最新兵器購入、沖縄の民意を無視した辺野古埋め立てなど、米国に最大限忖度した政治家だったから、間違いなく国葬にしたいのだ。米国に対し自主自立の政策を掲げた、田中角栄小沢一郎鳩山由紀夫らは、米国と対米追随政権・官僚に潰された。米軍の新型輸送機オスプレイの日本国内での飛行に関し「地上の人や物件の安全のために低空飛行を制限する航空法は適用されない」と閣議決定した野田政権もむき出しの対米追随路線だった。。